yahooアクセスランキング記事を要約する blog

ヤフーニュースのアクセスランキング記事を要約するブログです。

人的補償で巨人を去った14人の選手たち

スポンサーリンク

news.yahoo.co.jp

こんにちは、野球ファンの皆さん。今日は、先日発表された近藤健介の人的補償選手について話したいと思います。近藤は日本ハムからソフトバンクにFA移籍しましたが、その代償としてソフトバンクは巨人から田中正義を指名しました。田中は巨人の主力投手として活躍していましたが、今後はソフトバンクでどんな働きを見せるのでしょうか。

このニュースを聞いて、私はふと思い出しました。FA制度が導入されてから、巨人は他球団からFA移籍した選手の代わりに、自分の選手を人的補償で失ってきました。実は、その回数は34回中14回という驚異的な数字なんです。巨人ファンとしては、これはあまり嬉しくない話ですが、それでも気になるのが、その14人の選手たちは移籍後どうなったのかということです。

そこで今日は、この記事を参考にして、巨人を人的補償で去った14人の選手たちのその後を振り返ってみたいと思います。記事では、年代順に14人の選手の経歴や成績、移籍後のエピソードなどを紹介していますが、私もそれに沿ってコメントしていきます。

まず最初に巨人を去ったのは1995年オフ、河野博文人的補償日本ハムに移籍した川辺忠義です。川辺はドラフト2位で巨人入りしましたが、6年間で1軍登板ゼロでした。しかし、日本ハム移籍後は17試合登板し、プロ初勝利も挙げました。現役引退の前年に遅咲きの花を咲かせられたのは、まさに人的補償の効用だったと言えるでしょう。

次に2001年オフ、平松一宏です。平松はドラフト8位入団ながら、1年目からリリーフ左腕として活躍しました。00年には優勝決定試合で勝利投手になるなど、4勝を挙げましたが、翌年は防御率8.18と不振に陥りました。前田幸長人的補償で中日へ移籍した平松は、03年にローテーションの谷間を埋めて11試合に先発し、自己最多の5勝をマークしました。イケメン投手として人気もありましたが、残念ながら活躍は1年限りでした。

3人目は05年オフ、野口茂樹人的補償で中日へ移籍した小田幸平です。小田は強肩捕手として巨人入りしましたが、阿部慎之助の壁に阻まれて出場機会に恵まれませんでした。中日では谷繁元信のサブとして起用されるとともに、明るい性格からチームのムードメーカーとしても重宝されました。17年間の現役生活を送れたのは、人的補償で新天地を得たおかげだと言えるでしょう。

4人目はFA移籍した選手が人的補償になるという史上初の悲哀を味わった江藤智です。江藤は05年にFAで巨人に移籍しましたが、打率.172、0本塁打と大不振に終わりました。40パーセントダウンの大減俸で契約更改した後、豊田清人的補償で西武へ移籍することになりました。西武では打率.300を超える活躍を見せましたが、故障も多く、結局2年で引退しました。FA移籍後の苦難の道は、人的補償の代償だったのかもしれません。