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終戦時に残った日本海軍の艦艇のその後

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こんにちは。今日は、第二次世界大戦日本海軍が保有していた艦艇の中で、終戦時に残ったもののその後についてお話ししたいと思います。日本海軍は開戦時には230隻を超える主力艦と補助艦艇を保有していましたが、終戦時にはわずか150隻という状況でした。その中でも有名な3隻の艦艇について紹介します。それは、戦艦「長門」、空母「加賀」、駆逐艦島風」です。

まず、戦艦「長門」についてです。この艦は1919年に進水し、連合艦隊旗艦として日本海軍の顔でもありました。一時期は同型艦の「陸奥」やイギリスやアメリカの同世代艦と共に「ビック7」と呼ばれるほどの強力な戦闘能力を持っていました。しかし、実際に砲火を交えた任務は1944年のレイテ沖海戦が初めてでした。その後は人員輸送や給油活動などに従事しましたが、1945年7月に横須賀で空襲に遭い、爆弾が命中しました。修理されることなく終戦を迎えた「長門」は、海軍が保有していた戦艦の中で唯一航行が可能な艦でした。

終戦後、「長門」はアメリカ軍に接収されました。そして1946年にはアメリカ軍の核実験である「クロスロード作戦」に標的艦として参加することになりました。「長門」は最初の実験では耐えましたが、2回目の実験では核爆弾の水中爆発により沈没しました。「長門」の軍艦旗アメリカ海軍軍人が持ち帰りましたが、後に発見され、俳優の石坂浩二さんが買い戻しました。現在は大和ミュージアムに展示されています。

次に、空母「加賀」についてです。この艦は1925年に進水し、当初は巡洋戦艦として建造されましたが、ワシントン海軍軍縮条約により空母へと改装されました。「加賀」は真珠湾攻撃ミッドウェー海戦などに参加しましたが、1942年6月にミッドウェー海戦アメリカ軍の潜水艦に雷撃され沈没しました。その際には「加賀」の艦長や飛行隊長など多くの将兵が戦死しました。

終戦後、「加賀」の残骸は発見されませんでしたが、2019年にはアメリカの探検家ポール・アレン氏が率いるチームが「加賀」の残骸を発見しました。その映像は日本のNHKアメリカのCBSなどで放送されました。「加賀」の残骸は深海に沈んだままですが、その姿は日本海軍の空母としての誇りを感じさせます。

最後に、駆逐艦島風」についてです。この艦は1939年に進水し、日本海軍が保有していた駆逐艦の中でも最も高速である「島風型」の1番艦でした。「島風」は真珠湾攻撃ミッドウェー海戦などに参加しましたが、1944年10月にレイテ沖海戦アメリカ軍の空母艦隊に突撃するという特攻作戦に参加しました。その際には「島風」以外の全ての駆逐艦が沈没しましたが、「島風」は奇跡的に生き残りました。

終戦後、「島風」はイギリス軍に接収されました。そして1947年には中国へと引き渡されました。「島風」は中国海軍で「台風」と改名され、1950年代まで活動しました。その後は解体されましたが、その一部は台湾の国立中山大学に展示されています。「島風」は日本海軍の駆逐艦として唯一戦後も現役であった艦でした。